空襲で焼ける前の福山城は、日本の8大名城の一つに数えられていました。
(江戸、名古屋、大阪、姫路、岡山、広島、熊本、福山)
そして、3大平山城(熊本、津山、福山 ※姫路は本丸が狭過ぎで落選)の一つに数えられ、櫓の数の多さでいう5大名城(熊本、広島、岡山、姫路、福山)の一つです。更に天守閣に上段の間があった城(津山、小倉、福山)の一つであり、名城中の名城でした。
そして、その城郭たるやけして大げさでも何でもなく福山城は50万石から100万石の城郭だと言われておりました。
その根拠は普通10万石の城なら3階櫓が天守閣なのだが、福山城の場合、3階櫓を数えてみると5棟(伏見櫓、東坂三階櫓、鬼門櫓、神辺一番櫓、神辺三番櫓)もあったのです。
その名城「福山城」ではありますが、昭和41年に建てられた現在のお城には当時の面影は全くありません。材質もコンクリートです。そのコンクリートの寿命も50年といわれており、2016年には寿命を迎えます。
三浦正幸先生講演会「福山城築城400年に向けて」
2013年6月19日 県民文化センター
講師:三浦正幸氏(広島大学大学院教授)
1954年生まれ 広島大学大学院文学研究科教授・工学博士。天守や城郭の復元研究、出雲大社や厳島神社などの国宝建築物研究、全国各地の社寺・城郭・民家・近代建築などの実地調査、伝統的建造物や城跡など史跡の保存活用の研究を行う。愛媛県、広島県、尾道市、下関市などの文化財審議会等委員、諏訪原城・横須賀城・岡山城・津和野城・松山城・宇和島城・河後森城・等妙寺跡などの史跡保存整備委員など多数兼任。
≪音声MP3 1時間30分≫
PDF資料
http://j-ynet.info/miura/miura_yoko.pdf
以下、 何かへんじゃ(ブログ)より転載
福山城天守閣の変遷
下記の写真の3番の写真が明治・大正・昭和に見られる天守閣全てがこの写真で私自身もこの写真が築城時の構造だと思い込んでいました。そして今日の天守閣構造が違うものと思っていました。1・2 の発見で築城時は檜皮葺きで阿部家時代の江戸中期に改築しています、明治の写真から推測すると、その時檜皮葺きから5櫓目を板回しに変えその時4櫓屋根檜皮葺きを瓦屋根に変え、戦前までこの写真で見る事が可能でした。そして福山築城と同時代に現在の岡山県津山市に元和2年(1616)に津山城天守閣は13年の歳月をかけ完成しています。福山城と同じ檜皮葺きの屋根が使用されています。この津山城築城後わずか6年後に福山城が完成しています。従って2番の構造のイメージが私は正しいと思います。