福山城築城まで福山と呼ばれる街はなかった。

南西から見た福山市街(中央付近手前の山が福山城)

福山城と共にできた街「福山」

福山城周辺は「杉原保」と呼ばれ古代から荘園として栄えていた。安土桃山時代には「野上村」と改称され、福山城の建つ丘陵は北側から連なる山並みの先端部で「常興寺」と呼ばれる寺が建てられていた。常興寺は築城に際して城下北部に隣接する吉津村に移され、野上村は城下南西の新開地に移された(現在の市内野上町周辺)[1]。南側は海が間近に迫る芦田川デルタ地帯で大部分は湿地帯や田畑となっていたようである[2]。この時の備後南部の中心地は福山城から北東約6キロメートルに位置する西国街道沿いの神辺で、ここに備後国の政庁である「神辺城」があった。また、海においては福山城から南約12キロメートルにある沼隈半島南端の鞆の浦が海上交通の要衝となっていた(福山 (城下町)も参照のこと)。

築城に際し城地に含まれた常興寺は近郊の吉津村(現在の市内吉津町)に移転され[3]、北側は東西方向に切り開き総構えの堀を兼ねた川(吉津川)が通された。干潟であった南側は干拓されて城下町が開かれ、この町は福山と名づけられた
≪wikipedia≫より

 

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初代福山藩主 水野勝成とはどのような人物であったか。あまり知られていないが間違いなく戦国一の最強武将でした。その破天荒さには驚かされるばかり、知れば知るほど好きになる人物です。大河ドラマの主人公にこれ以上のキャラクターはいないでしょう。何故取り上げられないのか不思議です。

破天荒過ぎる福山藩主「水野勝成」